理由

サンフランシスコに住んで、4年になります。そんな経ったのかと。19歳の時に来て、今は23歳。早いものです。

 

 

私が留学しようと思ったきっかけ。

 

以前、とあるセミナーでもお話をしました。沢山の人に出会えることは素晴らしい経験のひとつ。しかし、素晴らしい方と出会うたびに、気付くと周りと比べてしまう私がいました。周りと比べ、焦り、ひとり劣等感に浸る。恥ずかしい話です。私は私。なのに、そう感じてしまうのは、新たに一歩踏み出したい。新しいことを見つけ、全力で挑みたい気持ちが出てきたことなのかもしれません。素直に、なぜ留学をしたいのか、その理由を忘れてはいけない。わたしにしかできないこともあると。10代の頃に感じた思いを忘れたくない。だから、ここにまた書き留めておこうと思います。

 

 

中学と高校の時に通っていた、女子高である宮城学院で、国際交流が盛んなこともあり

常に異文化体験をしていました。姉妹校を持つ、カナダ、オーストラリア、そして韓国。不思議なことに、韓国以外は、どちらも共学なんです。なので、女子高に、それはもう金髪にブルーの瞳のイケメン君も来るわけです。私が、中学生の時は、高校の先輩がイケメン君を連れて登校している姿が憧れで仕方なかったです。すっごく大人に見えました。そんなバカな気持ちで、私も彼らを、ホームステイの家族として受け入れたいと、思いました。そして、高校生になり、念願のホームステイ受け入れを体験しました。一週間という期間の中で、仙台の観光地、松島、青葉城、定禅寺道り。などなど。日本の文化を一緒に体験しつつ、彼らの文化と言葉を学びました。仲良くできていたと思っていたんです。英語も単語で会話を上手くつなげただけの、へたくそな英語でしたけど。オーストラリアの友達が言いました。「僕たちは、確かに友達になれたと思う、だけど、言葉の壁を感じず、自分の気持ちを上手く伝えられたらいいね」と。友達にはなれたと思います、しかし言葉の壁を感じると言われ、どうにかして、この壁を壊したいと思いました。勉強しました。しかし、いくら教科書を見たって、長い英語の文法が出てくるだけ。何も面白いことが見つかりませんでした。

そんなとき、学校で、希望者だけ、試験に合格した人だけ行けるサンフランシスコとカナダへ2週間の海外研修があるということで、行くことにしました。試験といっても、自分の長所と短所を英語で話すだけですが、あの時は、それを英語で説明すること自体がとても難しく、相当勉強しました。いきなり合格です。英語の成績が悪い私が、2週間の海外生活です。両親もびっくりです。

 

さて、このサンフランシスコとカナダのバンクーバーとビクトリア。生徒数名と先生で行きました。たった2週間の生活だと思いますが、その時は1か月はいるんじゃないかと思うくらい、長いと感じました。その国の独自の文化がより現れた街並みを歩くたびに、日本で生活していた今までのことがとても小さく感じました。ただただ圧倒されてました。

カナダのビクトリアで、ホームステイをしました。家族は4人家族。3歳と8歳の子供がいるご家庭でお世話になりました。やはり、日本人とは違い、8歳でこの身長。私と同じです。今では、モデルかと思うほど、イケメンです。

本当にいい体験をしたと思ってます。なかなか上手に話せないのに、しっかり目をみて理解しようとしてくれました。8歳の男の子でさえ、「あなたの言いたいことは、こういう事かな?」なんて気を遣わせていました。それくらい、優しく辛抱強く聞いてくれたんです。

私は、思いました。この言葉の壁を感じさせる英語が、もし理解できたら。もし、話せて、聞けて、書けて、そして読めることができたら、なんて面白いことが待っているのだろうと。

お互い、違う言葉を話します。違う国に住み、違う文化を持った者同士がお互いに通じる言

葉が一つだけあるとき、どうしてそれを学ばないのかと。いくらでも時間がある。今しか出来ない事は、その言葉を学ぶ事。言葉は面白いです、学べば学ぶほど、違う国に住む人たちをより理解できるんです。

私は、ここで初めて長く外国にいたいと思いました。それが留学です。まずは、英語を話せるようになりたいと思いました。

 

高校3年生は、本気で勉強しました。卒業後も、図書館にこもり勉強していましたが、ちょっと嫌いだった読書に興味を持ってしまったんですね。徹夜で読むほどです。本は、いろんな事を気付かせてくれます。上橋菜穂子さんの獣の奏者に出てきた、印象に残った言葉がありました。「努力しない者は、壁にすら辿りつけない」。高校を卒業し、独りで英語を学ぶとき、辛いときもありました。諦めようとも思いました。しかし、同時にたくさんの本にも出合いました。努力しなければ、その先の苦労もしらないで終わります。自分には難しかったかどうかなんて、分からずに諦めてしまっていいのか、きっと後悔すると思いました。諦めませんでした。勉強し続けました。

 

2011年いよいよ、この年に行ける。しかし東日本大震災がきました。大きな地震は私たちの生活を困難にさせました。家族3人と猫一匹で、車で過ごしたこともあります。一週間、父の会社のフロアで過ごしたこともあります。電気もガスも全く復旧しません。シャワーは一週間に一回、復旧が済んだ知り合いの家に行きました。水もありません。寒いなか何時間も待ちました。スーパーで、一人につき5つまでの食材を家族で長時間並びました。ガソリンもなく、自転車での生活が続きました。復旧には1か月以上。私の地域は、復旧が早い方でしたが、やはり、津波のあった地域の方がより時間がかかっております。家族が海に流されて、今も行方不明なままです。そのようななかで、自分の夢だけを考え、国を出て、留学してよいものか悩みました。両親は言いました「行っておいで。見ておいで。自分の目で、肌で感じてきなさい。こんな時でも、夢をあきらめないで欲しい」と。その時、会いたいと思いました。被災した地域のために、日本の為に祈ってくれた沢山の国のひと。違う文化や言葉を持った人々のやさしさを見てみたいと。

 

学校生活の思い出は今も忘れません。